ろう学校の最大の専門性

耳できくという言葉には「聞く」と「聴く」があります。
みなさんはこの違いを考えたことはありますか?
辞書によると、「聞く」は言葉や音を耳で感じ取ることで、自然に耳が聞こえてくる意味があります。
「聴く」は自分から積極的に耳を傾けて聞くことです。
聞こえる子どもの場合は校内にいる多数の友達の声や足音、雨音などが全て耳に入って聞こえています。
授業中のグループ活動にしても昼休み中の複数のおしゃべりにしても子どもはその時の状況に応じて、
耳を傾けて聴き友達の会話に参加したり、聴くだけに留めたりする選択をしていると思います。
そんななんでもない「聴く行動」が日常生活で普通に繰り返されています。
ところが地域の幼稚園や学校に通学している難聴のお子さんはその選択が難しいのです。
ここ近年、人工内耳だけでなく、補聴器にもノイズリダクションや指向性など新たな機能がつくようになってきましたが、
それでも友達同士または集団の会話の聴き取りが難しいお子さんは多いです。
つまり、複数の音声が重なる「音声の重複」が難聴のお子さんを孤立化させているのです。

過去に地域の学校に通っていた私も集団の会話についていけなくてその都度分かったふりをしていました。
厄介なのは自分の障害を正しく認識していなかったために
「自分は聞こえないから集団の会話が分からず、孤立しているんだ」
という自覚が全くなかったことです。

話を戻しまして、「聞く」「聴く」の違いの一つとして「注意」があり、
認知心理学にこんな言葉があります。
生活の中の様々な音や周りの声、視覚的な刺激など、一度に複数に注意をする「分割的注意」。
その「分割的注意」の中から必要に応じて特定の声や話を選択して注意する「選択的注意」で、
聞こえないお子さんの言葉の発達においても大きく影響すると言われています。
ですが、その「選択的注意」が難しいとなると、言葉の発達だけでなく、
価値観が様々だと知ることが難しくなります。
社会性を育んだり自己の価値観を深めたりしてほしいと願って地域の幼稚園や学校に入学させたものの、お子さんの「選択的注意」が難しい状況になった時に、学校や保護者はどのような対応や支援が必要になってくるか、難しい問題だと思います。
一方、ろう学校はお子さんの聴力に左右されず、
だれでも視覚的に伝わり合う手話を中心とした環境であるため、「選択的注意」が容易です。
この場合は「聞く・聴く」ではなく、「見る・視る」ですね。
友達の会話を視て、「その番組、ぼくも見た。面白かったよね」と参加することもできます。
また、「ああ、昨日の番組か。興味ないな」と参加しない選択をすることもできます。

ろう学校の最大の専門性は、「聞こえないお子さんが集団で学んだり、対話したりすることができる」という場の特性にあります。
これこそろう学校ならではのことで、地域の学校や難聴学級、クリニックでは真似のできないことです。
シコウカは現在、個別またはペアによる活動ではありますが、いつか「選択的注意」ができる環境にしていきたいなと思っています。
手話での関わりを基盤とした勉強や遊び、生活など、聞こえないお子さん同士の学び合いの場があってこそ、
その中で社会性や障害認識の育成を中心に人間形成の大切な部分が培われていくのです。

出典:脇中起余子(2009).聴覚障害教育これまでとこれから~コミュニケーション論争・9歳の壁・障害認識を中心に~ 北大路書房,19.
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