聴覚障害者の処世法

久々の更新です。
今月もお子さんと初めての出会いがあり、
日々良い刺激を受けています。

先週、東京工科大学の研究室で学生達を相手にお話をしました。
4年生ということで来年度は社会人になる人が多いだろうと思い、
「聴覚障害者から見た社会と教育」を主旨としました。
聴覚障害者の進路や会社での苦悩だけでなく、
私の教員時代の経験を交えて昭和時代から令和時代のろう教育の変容も紹介し、
ここではその一部を紹介したいと思います。

「令和時代の今、聴覚障害者と聴者のコミュニケーションはどうあるべきか?」
という問いについて、
まず、昭和時代の聴覚障害者は、聴者を中心とした社会の中でどのようにコミュニケーションをとっていたか。

・補聴器を最大限に活用し、相手の音声を聞き取っていた。
・相手の口の動きや形を読み取っていた。
・相手に伝わるように音声を発していた。

もちろん全員がそうしているわけではなく、「聞こえないから筆談してください」と伝えた人もいるでしょう。
ですが当時はやはり「聴者にいかに合わせるか」といった考え方から聴覚活用・読話・発話によるコミュニケーションが多かったと思います。
ですが、どんなに頑張っても相手の音声を完璧に聞き取ることはできませんし、
口形の読み取りにはどうしても曖昧さがつきまといます。
また、発話に関しては発音明瞭度にもよりますが、相手に伝わらないことが多く、すれ違いが生じやすいです。
このような問題から会社で働く聴覚障害者のほぼ4人に1人が人間関係を理由に退職していることが分かります(平成15年度障害者雇用実態調査報告書より)。
人間関係ってコミュニケーションとは切り離せないものであるが故に、
昭和時代の聴覚障害者はコミュニケーション障害とも言われていましたが、
今もまだそういった見方をするところは多いでしょう。

ですが、令和時代の今は、
コミュニケーション障害の原因は聴覚障害者にあるのではなく、
社会の方だという考え方が認識されてきており、
「聴覚障害者への関わり方をいかに伝えるか」の能力が求められます。
自分の言葉は日本語だけでなく、手話もなんだということを相手に伝える力。
人工内耳の普及に伴い、発話ができる人が増えたが、聞き取りは依然として難しいことから、
視覚的に確実に伝わり合う筆談や手軽に使用できる音声認識アプリが必要だと伝える力。
そういう能力は平成時代から少しずつ必要感が高まり、
今のろう教育においても益々必要になるではないだろうかと。

研究室では時間の関係で上記のように詳しくお話することはできませんでしたが、
今度機会があれば学生達にも伝えたいと思います。

関連記事